今日午後…職場の病院は大騒ぎでした。
そして、血の臭い…
その原因は…交通事故により、大量の外傷をおった患者が運ばれてきたためです。
救急とは関係のない看護師さんも、ヘルプで手伝いに来ていたりしていました。
それは、日本では経験したことのない医療ドラマの最終回の一場面のようでした。
あまりにも大きな事故?だったためか、国王までもが病院にきました。
事故の詳細は分かりませんが…
バスが横転してしまったようで、そこに乗っていた人たちが次から次へと病院に運ばれてきたようです。
自分は、現在MRI検査に参加しているため、既に撮影が終了していたこともあり、レントゲン撮影のヘルプをしていました。
みんな、感染予防のためゴム手袋をし、次から次へと患者を撮影しました。
撮影に使える部屋は2部屋。
※FPDを搭載したデジタル撮影機器があるが、フィルム代が高価という理由で稼働していない…
撮影終了で検査室外に出される患者、と入れ替わりに入ってくる次の患者…
今日、これを何回繰り返したのだろう…
手伝っている中でも、「もぉ~」と感じることが何回もありました!
・分かりずらいオーダー
・撮影機器は可動域が狭く、患者とストレッチャーを動かしポジショニングをしなければならない
・ストレッチャーにストッパーがない、更に不安定。患者に無駄に毛布を掛けてある
・機器の動きが鈍い
・撮影方法・ポジショニングの誤認識
・装飾品チェックが不十分で再撮影が多い
・撮影室の扉は開けっ放し、更に患者以外(トイレを使用)の人の出入りが自由
・フィルムもデジタルでないため、フィルム現像に時間がかかってしまい確認が遅れる
・他の職種との連携が取れていない
等が原因で、撮影をスムーズに進める事ができませんでした。
Drのオーダーも
全身の中から
・頭部2方向
・頸椎
・胸部
・肩
・肘
・大腿
・膝
・下腿
のようにはじからオーダーされていました。
技師側で一緒に撮影できるところはまとめて撮影し、時には追加撮影もしていました。
日本と比べ、劣っているところを挙げればキリがありません…
でも、そんな設備・システムが充実していないこの環境の中でも、みんながそれぞれ作業を分担し合い、スムーズに撮影を行おうとしていました。
・患者誘導
・受付
・撮影
・ヘルプ
・フィルム流し
自分は、ポジショニングのヘルプで参加していました。
普段からレントゲン撮影に参加しているわけではないので、撮影条件・設定方法を把握しきれていないので、それは普段から撮り慣れている現地スタッフに任せました。
改善点は沢山あります!
でも、こんな場面で自分の考える正解を相手に求めてなんていられません。
連携第一!
ここは日本じゃない…ブータンなんだから!
自分だってよくミスをします。
みんなだって、悪気があってやっているわけではありません。
でも「目の前の患者」「待っている患者」の両方を考え迅速に撮影していくように心がけていました。
それが大事なんだと思いました。
「技術」はいくらでも、補うことができます。
でも、患者を思う気持ち等の「意識」は、簡単に補うことはできません。
今日一日だけで…日本の医療が、どれだけ充実した設備・確立されたシステムの中でできているのかを感じる事ができました。
日本のように優れた人材・機器・システムを見習い、改善した方が良い点は沢山あります…
でも、それが果たしてこの国に合うかは分かりません。
この国には、この国のやり方が既にあり、その環境の中で経験し続け、働いている技師がいます。
自分一人だったら…今日この国の機器を使いきり、撮影をこなせていただろうか?
答えは「NO」です。
そんな現地の技師に敬意を払いながら、これからも一緒に業務を行っていきたいと思いました。
本当に…貴重な経験をさせてもらっている…そう感じる毎日です。
※追記
事故の詳細
事故現場:首都から約40km離れたところ
22人乗りのバスに、37名が乗車し走行していた。
ドライバーは若干22歳。そして、ドライバーのヘルプはなんと16歳。
その定員オーバーのバスは、ドチュラの急な坂を登るのも苦労していたよう。
そして、ドライバーがギアを変えようとしたところ、ニュートラルに入ってしまったようで、バスは坂道を後退した。
一人が、バスから降りて、輪留めにするための石を見つけようとしたが見つからず…バスはそのまま160mを落下してしまったよう。
そして、37名のうち9名が亡くなり、26名が怪我を負い病院に運ばれてきた。
とても、悲しい事故…。
当たり前のルールを守らないでいると…それは、いつか大きな事故に繋がる…
皆さんも交通ルールだけでなく、いろいろなルールを守れているか確認してみましょう!
2010年12月22日水曜日
2010年12月20日月曜日
2010年12月17日金曜日
national day
12月17日…
今日は、ブータンの『Ntional day』。
町のいたるところに国旗が掲げられていました。
この日は、チャンリミタン スタジアムでセレモニーが行われ、5代国王のスピーチも聞けるということだったので、行ってきました。
当たり前ですが、国王は現地語のゾンカで話していたので、何を話していたのかさっぱりわかりませんでした。
前日に、スーツを着ていけば旅行者か日本人だと思われて、国王に話しかけられるかもしれないよ!
民族衣装の『ゴ』を着ていくと、現地人に間違われるからダメ。
と言われていました。
同じ日本人ボランティアが国王に話しかけられたようです。
初めてのブータン国立記念日でした。
2010年12月11日土曜日
日本語教師のその後
約2カ月前に
といった記事を書いたことがあります。
しかし、その続きを全く更新していませんでした。
ここで近況を報告しておきます。
僧侶の日本行きはほぼ確定したようで、日本の大学からブータン政府に事前語学研修のための本が送付されてきました。
『一人でできるひらがな・カタカナ』
『みんなの日本語』
の本が送られてきました。
事前語学研修とは、日本に派遣される前に一人で予習のため行うものです。
本には、CDが付いていて外人の人がそれを使い学習していけるというものなのです。
しかし、僧侶のジグミ君は、CD Playerを持っていません…
逆にこの途上国で、CDplayerを持っている人がどれくらいいるでしょうか?
持っていれば本当に分かりやすく学習できるのですが、持っていないがために無意味な教材になってしまいました。
そのため、今は授業の一貫として、自分のPCでCDを再生しひらがなの復習を兼ねて使用しています。
既にこのジグミ君、
・ひらがなの発音
・ひらがなの書き方
・簡単な挨拶
・簡単な自己紹介
・簡単な買い物に使える表現
・日本食の味(味噌汁・カレー・お茶を試食させました)
は習得しました。自分はあまり必要に感じていなかったカタカナですが、本が送られてきてから本人が少しやりたいと言ってきているので、今後少しづつやっていくつもりです。
しかし、外国人が日本の大学に日本語研修に行くので…そこで習うと思うのです。
それよりも、簡単な会話ができた方が不安が少しでも減るような気がしています。
まだ、時間があるので少しずつ日本語を使えるようにサポートしていきたいと思っています。
そして今回の記事の本題はこれから…
その日本語教師を続けてきたことで、ブータンNo3のリンポチェにお会いしてきた記事を書きます。
そのジグミ君が所属している僧侶の高等仏教学校が、パロにあるサンガ・チョコルという所。
日本語授業を始めた当初から「自分が所属している学校に来たかったら連れて行ってあげる」と言われていたので、今回行ってきました。
サンガ・チョコルは、写真の右上に見える白い建物。山の頂点にあります。
ここへは、かなりラフ道を通らなければなりませんでしたが、車で行けました。
サンガ・チョコルは、昔シャブドゥンの居城だったようです。
※シャブドゥンとは
1616年にブータンを一つの国家としての枠組みに収めることに成功した人物のウガワン・ナムゲル。
ドゥク派を国教とし、政教一致の国体を持つ「ドゥク・ユル(雷龍の国)」の誕生を宣言した。
まずは、なかなか入ることができない僧侶の部屋で休憩させてもらうことに。
その後、リンポチェの時間があるときに、部屋を訪問させてもらいました。
写真の左上の家が、リンポチェの生活している場所。
リンポチェの部屋の前室で待たせてもらっている写真。右のカーテンの奥にリンポチェがいます。
まずは、自分が一番初めに部屋に入らせて頂き、
・五体投地
・カダを広げ差出し、首にかけてもらい
・頭に「ポンッ」とBlessing(恩恵を受ける行為)をしてもらい
・スンキを頂きました
そして、特別にジグミ君を通しリンポチェを撮影させてもらいました!
※これは、本当に特別なことです。
そのTOP3のリンポチェは、どこの家でも飾られているカレンダーに写っている3人のうちの1人でした。
「テルテン・ドゥップタ・ドルジ」
そのお歳、なんと11歳。
しかし、中はリンポチェ…。それは、会ってその目や雰囲気で理解できました。
TOP2が2週間前に行ったタンゴチェリでお会いした、「テンジン・ラプゲ」
TOPがジェ・ケンポ(大僧正)
一緒に行きたいと言って一緒に来た友達もその後、Blessingをして頂き無事終了。
最後に僧院(僧侶たちの教室)で参拝・いろんな説明をジグミ君にしてもらい帰路につきました。
リンポチェの家の前で生徒のジグミ君と記念撮影。
この僧院は、パロの景色が一望できる場所でした。
日本人は、仏教を信仰しているとみな答えますが…仏教の知識が全然ないため、こういう僧院に来ると本当に恥ずかしくなります。
チベット仏教が信仰されているこの国にいる間に、少しずつ仏教について考えていけたらなと思っています。
それにしても…まだ5カ月しかいないのにTOP3のうちの2人にBlessingしてもらうことができるなんて…なんか信じられません。
日本語教師を続けてきたことで、普通の活動だけでは決してできていなかったであろう経験をすることができています。
それにしても…RIM研修、この前の総会で正しい挨拶の仕方を学んだにも関わらず…きちんとできなかったのがとても悔しかったです。
最後に…『ジグミ君』と何回も言っていましたが…28歳と自分よりも年上の青年です!
2010年12月10日金曜日
健康診断
赴任されてから初めての健康診断が、自分の活動先の病院でありました。
健康診断の内容
・胸部レントゲン
・血液検査
・視力検査
・尿検査
・便検査
・体重測定
・血圧測定
・医師の問診
1年に1度検査を行います。
それに加えて今回はワクチン投与による予防接種も行われました。
・A型肝炎ワクチン
・B型肝炎ワクチン
先週には、インフルエンザワクチン接種も行いました。
普段の食生活が不規則であると自分で自覚していたにも関わらず、検査結果に、異常は見られなかったので安心しています。
しかし、中には肝臓の数値が高かったり、お酒の飲み過ぎ等が疑われる隊員も何人かいました。
この隊員たちは、再検査。
来年の健康診断で、指摘されないよう今から再度食生活を見直していきたいと思っています。
健康診断の内容
・胸部レントゲン
・血液検査
・視力検査
・尿検査
・便検査
・体重測定
・血圧測定
・医師の問診
1年に1度検査を行います。
それに加えて今回はワクチン投与による予防接種も行われました。
・A型肝炎ワクチン
・B型肝炎ワクチン
先週には、インフルエンザワクチン接種も行いました。
普段の食生活が不規則であると自分で自覚していたにも関わらず、検査結果に、異常は見られなかったので安心しています。
しかし、中には肝臓の数値が高かったり、お酒の飲み過ぎ等が疑われる隊員も何人かいました。
この隊員たちは、再検査。
来年の健康診断で、指摘されないよう今から再度食生活を見直していきたいと思っています。
2010年12月8日水曜日
冬季隊員総会
ブータンに隊員として赴任されてから、初めての隊員総会(冬季)が首都のホテルで開催されました。
この総会は、隊員が率先し開催されるもので年2回開催(5or6月、11or12月)されます。
※今回の総会では2日間、以下の様な内容でした。
・所長講話
・事務所連絡
・健康管理員講話
・安全情報
・隊員間討議
・隊員・事務所間討議
・講義(ディグラムナムジャ・仏教壁画講習)
・隊員活動報告
・お気に入りの町紹介
・各委員の再編成
普段、地方で活動している隊員も首都に集まってくるので、始めての人や、久しぶりの人に会うことができます。
そして、今回の1日目に、ディグラムナムジャというブータンの礼儀作法についての講話があったので、参加した隊員はみんな、男性は『ゴ』、女性は『キラ』の民族衣装で参加しました。
お昼もみんなでブータン料理を頂きました。
ディグラムナムジャの中では、正装の時に必要になってくる男性『カムニ』、女性『ラチュウ』の着用の仕方
や、『ダショー』、『大臣』、『国王』に会った時の正しい挨拶の仕方について演習も混ぜながらお話頂きました。
一部の隊員の「活動報告」と、全員参加の「町紹介」等もありました。
そして、何より久々に同期が全員集合することができたので、とても嬉しかったです。
次の総会は、半年後その間には、先輩隊員が帰国したり、新隊員が赴任されてきたりで隊員の入れ替わりがありますが、毎回有意義な会にしていきたいと思っています。
2010年12月6日月曜日
ガサ温泉
5日から、ブータンの北部に位置するガサに温泉を体験するために行ってきた。
ガサの標高は、2760mとそんなに高くないが、「車でアクセスできない最後の県庁所在地」と言われている。
また、ほぼ全域がジグメ・ドルジ国立公園(この名前は三代国王)にしていされており、自然環境が厳重に保護されている場所でもある。
5日
ティンプー出発 7時半
ガサに行くには、「ドチュラ」と「プナカ」を通っていく。
まずは、ドチュラ(標高3150m)。
ここは、9月にも来たことがあった場所だったが、前回は乾季に入ったばかりだったためか、霧が多くブータン最高峰の「ガンガ・プンプス(標高7570m)」等は見る事ができなかった。
前回記事はこちら
しかし、今回は晴天で、素晴らしい景色を見る事ができた。
続いて、プナカ(標高1350m)
ここは、バナナも育つ亜熱帯気候で、1955年にティンプーが通年首都になるまで約300年間、プナカが「冬の首都」であった。
プナカ・ゾンは、周辺が川に囲まれている珍しいゾンである。
写真の左側を流れる川がモチュ(女川)右側を流れる川がポチュ(男川) と呼ばれている。
ジェ・ケンポをはじめとするティンプーのタシチョゾンの僧侶たちは、冬の間このプナカゾンで生活している。
今回は、近くの「クルタン」の街でLunchを済ませただけだった。
そこからガサへの道のりはかなり険しいものであった。
揺れもかなりあり、途中少し車酔いしてしまうくらいだった。
ガサ キャンプスペース到着 14時過ぎ
しかし、ここで問題が発生した。
なんと、建築省の大臣とインドからの客人が来ており、温泉を貸し切ってしまっていたのだ。
ブータン人がいろいろ交渉してくれたが、この日ガサ温泉に入ることはできなかった。
駐車場から徒歩で10分程のスペースまで荷物を運び、テントの設置、Dinnerの準備をした。
夜は、街頭がなく辺りは真っ暗になるため、蝋燭と暖をとるための火の明りで過ごした。
就寝 9時過ぎ
6日
起床 6時
起きてから、朝食の用意をしようとしたのだが…水が凍っていた。
テントの中は、寝袋と毛布で快適だったが、ガサは北部であるため、やはり外は寒かった。
しかし、日の出を迎える事ができ、とても気持ちのいい朝であった。
二日目は、車でアクセスすることのできない最後の県庁所在地「ガサ・ゾン」に行くため、ブータン人は民族衣装の「ゴ」に着替えていた。
出発 8時過ぎ
徒歩で、ゾンを目指す。休憩なしで約1時間程の場所にあるようだ。
途中、ガイドの人と、環境関係の職業の人がいたので、山・花・鳥の話が絶えなかった。
鳥や植物の名前を英語で言われても全然分からなかったので、自分は写真を撮るだけだった。
所々に、大小の仏塔があり、気をつけていなければ時計回りで通ることを忘れてしまうこともあった。
ゾン到着 10時過ぎ
このゾンは、2008年の1月に漏電が原因で火災が起きたため一部が焼失してしまった。
そのため、今も修復作業をしていた。
参拝を済ませ、下山した。
キャンプ地到着 13時
Lunchには、運転手の人が作ってくれたエマダチ等を食べた。
帰る、と思いきやなんと温泉へ出発することに…
どうやら、大臣たちがちょうど帰路についたため、温泉が使用可能になったようだ。
キャンプ地から45分程で温泉スポットに到着。
このガサ温泉だが、2009年5月に豪雨で大きな被害を受けた。
前に写真で見ていたものとは違かったが、天然の露天風呂という感じがして結構好きだった。
この温泉だが、混浴でブータン人の男性は下着・女性は布を巻いて入る。
ブータン人とアメリカ人は、すぐにお湯に全身を浸かることができなった。
お湯の温度は、日本の温泉より少し低いくらいに感じた。
週何回か、自宅の風呂に浸かっているため、お湯に浸かる新鮮な感じは体験でなかったが、やはり温泉は気持ちがよかった。
周りのブータン人の反応を見ても、「やっぱり自分は、日本人なんだな~」と感じた。
ガサの標高は、2760mとそんなに高くないが、「車でアクセスできない最後の県庁所在地」と言われている。
また、ほぼ全域がジグメ・ドルジ国立公園(この名前は三代国王)にしていされており、自然環境が厳重に保護されている場所でもある。
5日
ティンプー出発 7時半
ガサに行くには、「ドチュラ」と「プナカ」を通っていく。
まずは、ドチュラ(標高3150m)。
ここは、9月にも来たことがあった場所だったが、前回は乾季に入ったばかりだったためか、霧が多くブータン最高峰の「ガンガ・プンプス(標高7570m)」等は見る事ができなかった。
前回記事はこちら
しかし、今回は晴天で、素晴らしい景色を見る事ができた。
続いて、プナカ(標高1350m)
ここは、バナナも育つ亜熱帯気候で、1955年にティンプーが通年首都になるまで約300年間、プナカが「冬の首都」であった。
プナカ・ゾンは、周辺が川に囲まれている珍しいゾンである。
写真の左側を流れる川がモチュ(女川)右側を流れる川がポチュ(男川) と呼ばれている。
ジェ・ケンポをはじめとするティンプーのタシチョゾンの僧侶たちは、冬の間このプナカゾンで生活している。
今回は、近くの「クルタン」の街でLunchを済ませただけだった。
そこからガサへの道のりはかなり険しいものであった。
揺れもかなりあり、途中少し車酔いしてしまうくらいだった。
ガサ キャンプスペース到着 14時過ぎ
しかし、ここで問題が発生した。
なんと、建築省の大臣とインドからの客人が来ており、温泉を貸し切ってしまっていたのだ。
ブータン人がいろいろ交渉してくれたが、この日ガサ温泉に入ることはできなかった。
駐車場から徒歩で10分程のスペースまで荷物を運び、テントの設置、Dinnerの準備をした。
夜は、街頭がなく辺りは真っ暗になるため、蝋燭と暖をとるための火の明りで過ごした。
就寝 9時過ぎ
6日
起床 6時
起きてから、朝食の用意をしようとしたのだが…水が凍っていた。
テントの中は、寝袋と毛布で快適だったが、ガサは北部であるため、やはり外は寒かった。
しかし、日の出を迎える事ができ、とても気持ちのいい朝であった。
二日目は、車でアクセスすることのできない最後の県庁所在地「ガサ・ゾン」に行くため、ブータン人は民族衣装の「ゴ」に着替えていた。
出発 8時過ぎ
徒歩で、ゾンを目指す。休憩なしで約1時間程の場所にあるようだ。
途中、ガイドの人と、環境関係の職業の人がいたので、山・花・鳥の話が絶えなかった。
鳥や植物の名前を英語で言われても全然分からなかったので、自分は写真を撮るだけだった。
所々に、大小の仏塔があり、気をつけていなければ時計回りで通ることを忘れてしまうこともあった。
ゾン到着 10時過ぎ
このゾンは、2008年の1月に漏電が原因で火災が起きたため一部が焼失してしまった。
そのため、今も修復作業をしていた。
参拝を済ませ、下山した。
キャンプ地到着 13時
Lunchには、運転手の人が作ってくれたエマダチ等を食べた。
帰る、と思いきやなんと温泉へ出発することに…
どうやら、大臣たちがちょうど帰路についたため、温泉が使用可能になったようだ。
キャンプ地から45分程で温泉スポットに到着。
このガサ温泉だが、2009年5月に豪雨で大きな被害を受けた。
前に写真で見ていたものとは違かったが、天然の露天風呂という感じがして結構好きだった。
この温泉だが、混浴でブータン人の男性は下着・女性は布を巻いて入る。
ブータン人とアメリカ人は、すぐにお湯に全身を浸かることができなった。
お湯の温度は、日本の温泉より少し低いくらいに感じた。
週何回か、自宅の風呂に浸かっているため、お湯に浸かる新鮮な感じは体験でなかったが、やはり温泉は気持ちがよかった。
周りのブータン人の反応を見ても、「やっぱり自分は、日本人なんだな~」と感じた。
温泉でビールも味わうことができたので、大満足だった。
名残惜しかったが、30程浸かった後、帰路についた。
帰りは、車中で猛烈な睡魔に襲われ、すぐに眠ってしまった。
それにしても、湯につかった後、また歩かなければいけなかったのはかなり辛く感じた。
自宅到着 23時
ブータンの温泉を体験する事ができてとてもよかった。
でも、やっぱり地元の温泉に浸かりたいと思ってしまった…。
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