2012年7月10日火曜日

おぉ!信州人

告知!

7月17日(火)18:55〜放送の

長野県限定番組『おぉ!信州人』
http://shinsyujin.abn-tv.co.jp/oa/

で、自分も含めた4人の信州人の協力隊活動をご覧頂けます!

ちなみに、1時間番組です!

撮影して頂いた時期は、帰国直前の6月上旬。

信州の熱い取材クルーが、遥々長野から来ブしてくれたんです!

自分の二年間のブータンでの活動が集結しております。

見所満載!

ブータン人との三言語(英語・ゾンカ・ネパール語)を使った絡みもお見逃し無く!

いつもブログで応援していてくれた皆さんへ、是非見て頂きたいと思っています!

でも、地元長野県限定なんです…。他の県の方、すいません。



今、日本でも話題のブータンですが、その国で実際に日本人が、どのように現地人と絡み合って生活・仕事しているか?皆さん全然ご存知ないですよね?

これを見たら、信州人の皆さんのモチベーション・視野の変化に絶対繋がると思います!

特に、長野の消極的な若者達よ!いいから一時間、我慢して見なさい!

見終わった後「俺でもいいのかも…」って思えるから!

今の日本は知らないけど、世界が皆を必要としているよ!

そういう事で、見てね!

2012年6月19日火曜日

二年を振り返って

ついに明日というか今日(19日)、ブータンの協力隊員としての活動、生活を終え日本へ帰国する。

この2年3ヶ月、本当に素敵な仲間と出会え、日本ではできない貴重な経験を沢山させてもらった。

今はみんなに感謝しかない。

協力隊に応募する事を決めた自分

それを応援してくれた仲間、家族

訓練所で出会った同期、先生

ブータンで出会ったJICA関係のみんな

そして、ブータン人に

「本当にありがとう」って言いたい。

協力隊員として、ブータンに来た事を一度も後悔していない。

胸張ってそう言える。

明日、ブータンを離れるなんて…全然想像できない。

ブータン人が、やっと分かり始めたとこだったのに…

でも、自分がやりたかった活動は全てできた。これって本当に恵まれていたって思う。

帰るべき時に帰れるっていうのも、本当に嬉しいものだ。

日本に帰国したら、ブータンの事、発展途上国の重要性を日本の皆に伝えたい。

日本ってどれだけ恵まれていて、発展している国なのか、日本人はもっと自覚すべきだと思う。

先人達がどれだけの思いで、今の日本まで創造されてきたのか…

先人達に感謝し、それを超えようとする努力をしていく必要がある。

先進国であり続けるのって…楽な事ではないって思う。


明後日、日本に到着し日本生活をリスタートします。

これからも皆さんに、ご指導頂く事があると思いますが、どうぞ末永くよろしくお願いします。

興味のある方は、協力隊活動について、是非シェアさせて下さい。

今後ともよろしくお願い致します。

P.S ブータン隊員のみんなへ
今、ブータンで活動できている事に感謝し、とにかく楽しんで、悔いの残らないような活動、生活をして下さい。
今まで本当にありがとうございました。

2012年6月14日木曜日

ブータンって?

どんなとこでしょうか?

一言で言うなら『日本昔話の世界』ですかね!

ただ…アマも携帯電話を操る不思議な国。

2012年6月12日火曜日

ついに日本へ帰国


来る619日に『幸せの国ブータン』での協力隊員としての2年間の任期を終了し、ついに日本へ帰国します!


日本到着日は620日。

帰国後研修の為、25日まで東京に滞在します。

地元長野への帰郷は、26日以降を予定しています。


皆さんに、日本でお会いできるのを楽しみにしています!

飲み会・イベント・就職情報等がありましたら、どしどしご連絡下さいw


2012年6月3日日曜日

両親来ブ

まさに『世界弾丸トラベラー』的な日程の…

三泊四日の弾丸旅行で両親がブータンに来てくれました!
旅程は以下の通りです。

<一日目>
バンコクからパロに到着・ティンプーへ移動
・職場(病院)
職場のみんなと

いつもお世話になっているシスターズと 
・チョルテン
・JICA事務所
・タシチョ ゾン

<二日目>
ティンプー滞在
・ドチュラ
・シムトカ ゾン
ゾンカ語で仲良くなった僧侶たちと
・ブッダ ポイント
・ターキンZOO
・ホテル アマンコラ
高級ホテルでお茶
・土産屋

<三日目>
ティンプーからパロに移動
・タクツァン
無事、登頂!

帰路も元気で安心しました
・ホテル ウマパロ
・民家

<四日目>
パロから日本へ出発


今回の来ブは、半ば強引に両親を招待した経緯がありました。
やはり、地元長野と景色的にも変わりはなく、先進国のような華やかさもない場所ですから、両親も来るのをはじめはためらっていました。

しかし、自分はこの国で二年間、現地人と喜怒哀楽し、同じ物を食べ、同じ言葉を使い、活動・生活してきました。

旅行客としてこの国に来たのでは味わえないブータン、そしてブータン人との絡みを楽しんでもらいたい!と今回招待しました。

今回、多忙の中、息子に会いにブータンまで来てくれた事には、本当に感謝です。

ありがとうございました!!!


最後に、日本のみなさんへ…

先進国への旅行はもちろん、忙しい毎日に疲れきった日本人の心を癒すには最適かもしれません。

しかし、途上国への旅行は日本が忘れてしまった感覚を思い出させる場所には最適だと思います。

「日本って、こんな所に関しても凄いんだ!」と誰に言われる訳でもなく、自分自身で感じれます。

それって、明日から日本で同じ仕事をする上でも、みなさんの活力になりませんか?

「自国にとっては、当たり前の事が、他国では当たり前ではないんだ!」と感じれる事って、とても貴重な事だと思います!

世界は、先進国だけでは成り立っていません。

最近、海外へ出たがらない若者が増えていると聞きます。新興国での仕事も、将来必ず自分の為、そして日本の為になります!

まずは皆さんに、途上国への旅をお勧め致します。

きっと、あなた自身の『明日からのものの見方』が、180度変わったものになるはずです!

2012年5月15日火曜日

中央、西、そして南ブータン出張

ブータンでの活動も、ついに終わりが近づいてきました。

当初、帰国一ヶ月前は、資料作成・身辺整理・帰国前の挨拶周り等でまともな活動はできないと予想していました。

しかし、ここに来てから「シンがいる間に!」と、放射線使用室における漏洩線量測定兼、施設点検の出張が立て続けに計画されました。

嬉しい事ですね。

『放射線量測定器』を申請した甲斐があるってもんですよ。

ゆっくりとですが、はっきりとみんなの意識が少しづつ変わり始めているのが分かります。

なんか、いいですね!

ということで、明日から約二週間で13病院を調査するという、またもや弾丸出張に行ってきます!

送別ピクニック

今回は、職場のピクニックに参加してきました。

これは来月に二年間の任期を終え、日本へ帰国する私の送別会を兼ねたものでした。

これがブータンでの最後のピクニックになるような気がして少し寂しかったです。

それでは、また写真を中心に紹介して行きます。

今回のピクニックでは、火起こし、朝食の準備をする為に6時半から早番が行っていました。

もはや、ピクニックではなく…本格キャンプのよう。

みんな揃うと、朝食を済ませ、早速昼食の準備を始めました。

ブータン料理に欠かせないのがやはり唐辛子。

これでもかってくらい使います!

参加人数も多かったので、昼食作りも一苦労でした。

みんなで仲良く、様々なカリー作りをしました。

と…またまた、唐辛子を切っているスタッフを発見!

…もういいよ。。。って、ちゃんと手袋してるのねw

「これ、何よ?」とふざけて太ったお腹を指差し聞いてみると、

『GNHだよ』と、さわやかに答えたスタッフに一本とられました。
確かに、これは食事を満足できる幸せということで、GNHと比例しているのかもしれませんね。

昼食準備が一段落すると、各々クルー、話、ギャンブルのカードゲームを楽しんでいました。

さて、昼食の時間になると、このように列を作ってセルフサービスでとって行きます。

今回は、私が『Chief guest』ということで、一番始めに取らせて頂きました。

みんなで作った様々なカリーがこんな感じ。ブータン・ネパリー・ジャパニーズ種類が豊富でした!
残念ながら、自分の持参した日本のカリーはあまり人気がありませんでした(涙)

話がGNHに戻りますが、これもその一つですね。

次に、休みの日に家族で参拝に行き徳を積む事も。

いい大人が、ピクニックの最後にするダンスも。

去年、参加したピクニックよりも色々な人と話せ、そして職場のピクニックが楽しく感じれました。これも、二年間活動してきた結果なのかなとふと思ったりもしました。

最後に、私がみんなの事を忘れないようにと記念撮影をしました。

この二年間、一緒に助け合いながら活動できたと思います。

本当にありがとうございました。

ブータン ローカルワイン

ブータンの酒『アラ』を紹介します。

これは、個人的には泡盛の味にとても近いと思います。

普通のアラ


卵を混ぜ、暖めた『ゴンド アラ』


これも、普通のアラ

これは、こないだピクニックで飲ませてもらった、ピンドン的な『ピンク アラ』


残りのブータン生活で現地人の家にお邪魔する機会が増えて行くと思うので、色んなアラの写真を集めたいと思います!

追記:
お祝いの席で飲まれる『チャンケ』


ダナーの手入れ

こないだトレッキングに行って来たので、愛靴『ダナーライト』の手入れをしました。

ダナーライトは、3000m以上の高地のトレッキングには柔らか過ぎて不向きだという事を承知で「思い出にしたい!」と無理矢理、ジョモラリ(7326m)トレッキングで5000mの峠を超えてきました!

何もしていない状態

靴ひもを外し、丁寧に土を落とす

日本から持って来た、ミンクオイルを布、または指に取り、丁寧に塗込む


何日かおき、余分なオイルを拭き取り終了

現在4年目。

帰国したらソール交換をし、これからも一緒に色んな所に行きたいと思います!

2012年4月16日月曜日

東ブータン出張、無事終了

約2週間のブータン東部出張から何とか帰還しました!

今回、ブータン20県のうち8県にある10病院へ行き、レントゲン室の漏洩線量測定を実施してきました。

その結果はと言いますと…まぁ、予想以上のものでして…

後日、改めて報告させて頂きます。

まずは、きちんと整理をし「これからの方向性を決めていかなければならないな」というところです。

とりあえず「無事帰還した!」という報告でした。


あっ、ダニ被害の方ですけど…50カ所くらいで済みました。って、多いのか少ないのか分かりませんよね〜w

本人はあまり気にしていませんので、大丈夫です!

2012年4月15日日曜日

黄泉のチョルテン コラ

あなたは、見た事がありますか?この幻のチョルテン コラを…


この日の天気は、朝から晴れ、曇り、雷、雨と定まらなかった。
夕方、ブータン最大規模のネパール式チョルテン「チョルテン コラ」を訪れた。
参拝し始めると雲りだった天気が、何かの合図と共に雨に変わった
その一瞬の雨で、人目のつかぬ場所にひっそりと水溜りができていた。
私は、何かに引きつけられるようにそれに近づき、何気なく中を覗き込んだ。

そこには、この幻のチョルテン コラが写しだされていた。

全ては偶然の産物でしかなく、その時の人の感性により「それが何か決まる」と私は思う。

だから、これは『黄泉のチョルテン コラ』なのだ。私の中で。

何年後かにきっと、この同じ条件下で誰かによって見つけられる事だろう。

ただその時、見つけた人がこれを『黄泉のチョルテン コラ』と感じ取るかは別として…


場所:東部ブータン・タシ ヤンツェ

2012年4月2日月曜日

東ブータン出張

4/2〜14まで、東ブータン出張に同僚と行ってきます。

移動手段はバス。東の果てまでは、二日半かかります。

内容は、先日JICAで購入して頂いた『放射線量測定器』を使用し、レントゲン施設のある10病院の漏洩線量測定を行うというもの。

個人的には国内旅行でゆっくり訪れたかったのですが、残りの活動日数もわずかとなり、出張として行けるだけでもありがたいというのが本音です。

その為、明日から二週間はブログ更新はできません。

今までUPできなかった過去の記事ものせましたのでそちらでお楽しみ下さい。

どのような測定データが取れるかとても楽しみです。

乞うご期待!

それでは秘境のブータン旅、ではなく出張行ってきます!!!!

2012年4月1日日曜日

ライトアップ

現在のメモリアルチョルテンは、このようにライトアップされています。
※写真右下のチョルテンを回っている参拝者が見えますか?
昼間の様子はこちら。

夜21時まで参拝する事ができる為、このように明るいと参拝者にはありがたいですね。

でも…ブータンも少しずつインドの影響(ライトアップ)を受けてきているようで、少し心配です。

2012年3月31日土曜日

同僚2

以前、職場で大好きな同僚二人を紹介した。
※前回記事は、こちら

普段、その二人とどのように病院で絡んでいるか紹介したい。

お昼の時間になると、CTリーダーのゴパールが奥さん手作りのお弁当を分けてくれる。

ゴパールのお弁当が無い時は、病院のキャンティーン(食堂)でサモサと呼ばれるジャガイモを皮で包んで揚げたものを食べる。

その帰りに、食堂の下にある小児科外来で働くシスター ミナの職場に顔を出し、お喋りする。

というのが、いつものお昼の過ごし方。

この二人がいなかったら、楽しく活動できていないだろうなぁ。

ナメサメ カディンチェ ラ(本当にありがとう)

2012年3月27日火曜日

もうブータンも春です…。

通勤途中の桜の開花や、至る所で見られる花たちからそれを感じずにはいられません。

今回は、ブータンの首都のゾン『タシチョ ゾン』の敷地内に植えられている赤とピンクの桃の花を見てきましたので紹介します。

今は、平日敷地内に入れるのは17時半以降だそうで、多くの観光客と共に入り口付近で時間まで待ちました。

時間になると、観光客はガイドに連れられゾンの中に続々と入って行き、中を観光していました。

自分は、外に植えられている桃の花の写真を撮る事が目的だった為、ひたすら写真を撮って帰りました。



すると、警備のブータン人に「えっ、中に入らないの?」的に驚かれました。

「中に入るのは、また今度ね〜!」と言うと、笑っていましたw

現地に住んでいるからこそできる、ブータンでの贅沢な観光。

さて、ブータンで過ごす最後の季節の春が訪れてしまいました。

ブータンで過ごせる一日一日を大事にし、その思い出を自分の中に丁寧にしまい込んで行きたいと思います。

次の季節、夏は日本で迎えるます…とても不思議な感じですね。

携行機材購入

先週、4ヶ月前からJICAに携行機材購入で申請していた『放射線量測定器』がブータンに到着した。
※電離箱式放射線サーベイメータ ICS323-C

これは、ブータンでは初めて使用される装置で、文字通り放射線量を測定する事ができるものである。

今回、これは病院の放射線使用室の放射線漏洩線量測定と、現地技師の放射線管理に対する意識改革に役立てる為に、JICAに申請し購送して頂いた。


日本では『電離放射線障害防止規則』により、放射線に関する様々な規則が定められている。
・X線装置の漏洩X線による実効線量が3ヶ月につき1.3mSvを超える恐れのある区域を管理区域と定めること
・管理区域の標識と、X線装置の取扱注意を箇条書きにした掲示板を掲示すること
・管理区域に立入る者は、フィルムバッチ、ポケット線量計等の被曝測定用具を装着すること
※その結果を、記録を残し30年間保存すること
・管理区域境界の漏洩X線の測定を6ヶ月に1回行うこと
・管理区域に立入る者の健康診断を6ヶ月に1回行うこと(白内障に関する眼の検査、皮膚の検査は3ヶ月に1回)
※その結果を、30年間保存・所轄の労働基準監督署に報告すること
・X 線装置の外壁の漏洩線量を測定する為に必要なサーベイメータをそなえること



と、ここには書ききれないが、日本では放射線管理に関する規則が山ほどある。

だが、ここブータンには一つも無いのが現状。かといってどこかの国の法律に準じているわけでもない。

自分がブータンに派遣される前は、この装置は放射線を扱う施設で主に使用されており、一般人にはあまり馴染みの無いものであったはずだ。

それが東日本大震災以降、原発からの放射線漏洩・一般市民への無用被曝が報道された事がきっかけとなり、多くの人に購入され、各自で放射線計測が行われた。

その為、日本では今でも品薄の状態が続いており、購送に時間がかかった。

「装置がブータンに無事到着した」と、職場に報告すると「メディアに取材してもらい、ブータン国内に報道してもらおう!」という展開に。

3日後には、保健省にてJICA側から病院側への寄贈式が行われ、テレビ局(BBS)・新聞社(Kuensel)も駆けつけた。

病院の放射線科では、その届いた装置にやや興奮気味!

みんなで初めて見る装置を触ってみたり、取り扱い説明書を読んだりしていた。

今後、所属のCT検査部門の放射線漏洩測定から始めたいと考えている。

その準備とし、CT技師のリーダーであるゴパールと病院の設計図を探し、放射線使用室周辺の部屋を把握した。

次に、今までインドのCT装置エンジニアの「操作室は安全だ!」という言葉を信じ、フィルムバッチを装着していなかったCT技師にも、これを機に装着を再度促し、申請書類に記入してもらった。
※現在、レントゲン技師のみが装着しており、インドの測定会社と契約・三ヶ月毎の測定を行っている。

ブータンでも桜が咲き始め、長く寒い冬が明け、温かい春に季節は変わろうとしている。
新しい事を始めようとするには、ちょうどいい季節。

ブータンでの最後の活動がスタートしようとしている。ブータンも少しずつ変わる必要がある。

個人的には、殆ど変わる必要がないと思うのだが。仕事となると話は別。

自分と同じ診療放射線技師の資格を持つブータン人は、去年9月にインドの大学でトレーニングを終えたこの二人だけ。
この二人は参加当初から「放射線測定器がブータンに無い事、技師たちが放射線に対する危機感を持っていない事」を自分と同じ様に疑問視していた。

<今後の実施項目>
・放射線使用室の漏洩線量測定
・撮影室レイアウト・防護設備等の変更
・ポータブル撮影時の被曝線量測定
・各県病院のレントゲン室の漏洩線量検査
・全国放射線科ミーティングで放射線量測定器の必要性と取扱い講習(現地技師のみで)
・定期的な漏洩測定測定(現地技師のみで)

残りの実質活動期間は2ヶ月間。

自分が抜けた時の事も視野に入れながら、現地技師主体で自分はサポートする形で残りの活動をして行こうと考えている。