…参加しませんでした!
ブータンの首都周辺に住む隊員、JICA関係者、その家族のほとんどの方々が出席されたのではないでしょうか?
日本で発生した大震災の事を、5代国王も気にして頂けているようで、
ブータンで活動・生活している日本人を、今回特別に招待して頂いたんだと思います。
本当にありがたい事ですよね。
この先、二度と国王に招待されることなんてないでしょう!
周りの人は、口を揃えて
「もったいない!」
「こんなチャンス二度とないよ!」
とか、言っていましたが…
なんか、出席する気になれなかったんですよね。
「出席するか否か?」 を問われた時…
すぐに
「日本がこんな時だから…日本のことを自分のように心配してくれるブータン人と現場で働きたい」
って素直に思え
「出席しません!」 と、即答しました。
ただでさえ他の隊員より出勤日数の多い病院隊員のため、普段から
『あ~休みたい!休みが欲しい!』
とか、言っている自分ですが…
何でか、今回はそんな風に思えたんですよね。
残りはの任期は1年3カ月…
活動の内容は別として、同僚に対しこのように思えてきたというのは
自分の中で大きな変化だったと思っています。
今、一人のCT技師がIVR(血管内治療)の3カ月間研修(タイ)に行っているため、CTをずっと手伝っているのですが、
今までのように、あっちの部署も、こっちの部署もというより
やはり、同じ部署で長くやるのって、いいのかもしれませんね。
そんな、心境の変化があった報告でした。
あっ!ちなみにブータン人に
「キング主催の昼食会に行かなかった」
と言ったら…
ビックリされて、怒られましたw
2011年3月22日火曜日
2011年3月13日日曜日
日本に向けたプジャ
本日、ブータン時間17時から首都ティンプーのゾン 『タシチョ ゾン』 で
ブータン5代国王自ら、日本の被災者に向けたプジャ(お祈り)をして下さいました。
ティンプーに住む日本人のほとんどの方が参加し、多くのお坊さんがお経と唱えてくれる中、みんなでバターランプに火を灯しながら日本へ向けお祈りしました。
今回のプジャは、国王自らの意思で実施して頂いたようです。
プジャ後も、我々に温かい言葉をかけて下さいました。
明日は、同じ場所で首相が先頭に立ち、日本へ向けたプジャを実施して頂けるということです。
こんな小さな国ブータンも、日本の被災者の皆さんの事を心配してくれています。
これには、ただただ感謝です。
我々は、今日本には居ません…。
日本人なのに…すいません!!!
今は…ただただ祖国日本の事を考え祈ることしかできません。
皆さん!どうか希望を持ち続けましょう!
そして、この災害をみんなで協力し合い乗りきりましょう!
こんな時だからこそ、『我が我が』ではなく、『他の人の事』を第一に考え行動しましょう!
この想いが…『日本のあなた』に届くことを祈っています。
ブータン5代国王自ら、日本の被災者に向けたプジャ(お祈り)をして下さいました。
ティンプーに住む日本人のほとんどの方が参加し、多くのお坊さんがお経と唱えてくれる中、みんなでバターランプに火を灯しながら日本へ向けお祈りしました。
今回のプジャは、国王自らの意思で実施して頂いたようです。
プジャ後も、我々に温かい言葉をかけて下さいました。
明日は、同じ場所で首相が先頭に立ち、日本へ向けたプジャを実施して頂けるということです。
こんな小さな国ブータンも、日本の被災者の皆さんの事を心配してくれています。
これには、ただただ感謝です。
我々は、今日本には居ません…。
日本人なのに…すいません!!!
今は…ただただ祖国日本の事を考え祈ることしかできません。
皆さん!どうか希望を持ち続けましょう!
そして、この災害をみんなで協力し合い乗りきりましょう!
こんな時だからこそ、『我が我が』ではなく、『他の人の事』を第一に考え行動しましょう!
この想いが…『日本のあなた』に届くことを祈っています。
2011年3月12日土曜日
日本のあなたへ
昨日の昼過ぎ…日本では、信じられないような大地震がありました。
今ブータンにいる私は、何もすることができず、無力を感ながらこの記事を書いています。
今できるのは、皆さんのご無事をブータンから祈ることだけ…。
被害は、東北地方をはじめとする日本全土で津波・余震が相次いでいるようで…
インターネットニュースを見ていますが、まだ信じられません…。
今後も、余震…津波…新たな地震…二次災害の発生が予想されます。
どうか、皆さんも今以上にお気をつけください。
被害にあわれた方に、心からお見舞い申し上げます。
そして、今回の災害で亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。
今ブータンにいる私は、何もすることができず、無力を感ながらこの記事を書いています。
今できるのは、皆さんのご無事をブータンから祈ることだけ…。
被害は、東北地方をはじめとする日本全土で津波・余震が相次いでいるようで…
インターネットニュースを見ていますが、まだ信じられません…。
今後も、余震…津波…新たな地震…二次災害の発生が予想されます。
どうか、皆さんも今以上にお気をつけください。
被害にあわれた方に、心からお見舞い申し上げます。
そして、今回の災害で亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。
2011年3月9日水曜日
写真で見るインド一人旅
ブータン→デリ→アーグラー→ヴァラナシ→コルカタ→ブータン
の流れになっていますので、興味があった覗いてみて下さい!
↓
https://picasaweb.google.com/greenherb22/India?authkey=Gv1sRgCJuUnaDRiuPv_AE#
の流れになっていますので、興味があった覗いてみて下さい!
↓
https://picasaweb.google.com/greenherb22/India?authkey=Gv1sRgCJuUnaDRiuPv_AE#
India④(Kolkata)
<3/1 Tues>
朝7:55到着予定時刻とほぼ同じ時間に目覚め、慌てて降りる準備をした。
しかし、列車は全く停まる気配を見せなかった。
結局Kolkata駅に着いたのは10時半過ぎ。
そこから、タクシーで市街へ移動し、ホテル探し。
またもどこもシングルが空いてない…ということで、疲れていたので少々高めだったがドミトリ-でなくダブルにチェックインした。
・宿泊Hotel…『Paragon』
ダブル…350/泊
※伝説の日本人宿らしく、日本人が物凄く多くいた。全然絡まなかったけど。
昼食にマクドを食べ、エアコンの効いたCDショップに入ったりブータンでは出来ない体験をした。
夕食に中華料理を食べ、ラッシーを飲みホテルに戻った。
<3/2 Wed>
この日は、どこに行くでもなく一日中Kolkataの街中を散歩した。
街中を歩いたり、バスにひかれそうになったり、しつこい客引きにキレたり、お土産を探したり、最後にまたマックを食べたりしてダラダラと時間を過ごした。
明日にはブータンに帰国、と考えると少し寂しくも感じていたが、早く帰りたくてしょうがなかった。
<3/3 Turs>
ブータンへ飛行機で移動日。
・飛行機…8:40発 Kolkatta-Paro
朝6時にチェックアウトし、タクシーで空港に向かった。
タクシーでの事
今までは「インドは初めてか?」という質問に「3回目」とか適当に答えていたが、「コルカタは初めてか?」という質問に対し「コルカタは初めて」と答えてしまった。
そしたら、おじさんがいきなり「空港に行くには2つ道がある。1つは普通道で1時間半かかる。もう1つは高速道で30分で着く。でもお金が別に掛かるがどうする?」と質問してきた。
「任せる!高速がどんなか連れて行ってくれ」と答えてみた。
そして、お金を払う気配もなく高速に突入した。その時点で「コイツ、ぼろうとしてるな」と思ったので、空港に着いて最初の交渉したお金しか払わなかった。
そしたら案の定「おい、高速代は?」と聞いてきたので「さっき、高速料金払ってなかっただろ?もし必要だったらその時俺が払おうとした。でも払ってないってことは必要ないんだよ!てか、俺インド初めてじゃないし、知ってるから!」と言ってやった。
そしたら「これじゃ俺が損するよ…」と車に戻って行った。でも、本当に損するなら、もう一回言ってくるはずでしょ?
最後にインド人に勝った気になった。
旅の初日は、あんなに恐く感じたインドだったが、それは数日で慣れ、そして嫌いになり、最後は、そのインド人に余裕さえ持てるようになった。
そして、ついにインドから脱出!
KolkataからブータンのParoは、1時間程で到着してしまい、最後はこの旅が本当にあっけなく感じてしまった。
ブータン…
…
本当に静かだと感じた。
最後に…
このインド旅行、自分をかなり強くした気がする。
日本、ブータンにいたら絶対に出会わないような人に出会え、新しい友達もできた。
今回は、目的はあったものの 『インドを感じてみたい!』 という安易な理由で一人で行ったからか「インドは、一回でいいな…」と思った。
本当に今まで経験したことのないような、ドキドキも沢山経験した!
本当に疲れた…
また、ブータンというかなり平和ボケした国から行ったからなおさらそう感じたのかもしれない。
街で見る、食べ物・お菓子等もブータンにもそこら中にあるから全く新鮮に感じなかったし…。
好きになれたのはシタール・タブラー音楽くらいかな。
ただ、音楽・ヨガ等を習いたい等の目的がある人達は、インドをかなり楽しめると思った。
あと、インド人と上手くやりたいなら提示された金額を払えば気持ちよく終われるのかもしれない。
でも、それではこちらのお金が持たない。
はじめに現地の相場はどのくらいか調べておき「現地価格○○Rpでしょ?それよりは少し高く払うよ」と値段交渉を始めるのがいいのではないかと感じた。
インド人の色んな勧誘を経験し、インド人の必死さがひしひしと伝わってきた。
インド…人口も多く、成長を遂げている国だけど、カーストの下の方の人達の生活はこの先も変わらないのでは?と思った。
※インドに行けばそう感じると思う。
また、インド人がインド人を信用していない感じさせる場面を何度も見た。
これには少し悲しくも感じたが、これも自分の身を守るために必要なことなんだと思った。
※インド人が余裕なく感じたが…自分が余裕なくてそう感じたのかもしれない
ブータン…本当に静かで国民も心に余裕がある国だと感じた。
この旅でこう感じれたことは、残り1年3カ月の活動を気持ちよく行えると思う。
任国外旅行という制度…本当にどんどん活用した方がいいと思った。
人それぞれ感じるものは違うが、それでいいんだと思う。
インド…ブログではとてもじゃないが説明しきれない国…
インドへ行っていない方には、是非一人でインドへ旅に出てもらいたい。
あなたなら、『インド』をどう感じるだろうか?
簡単だが、これをインド一人旅の報告とする。
おわり!
※今回は北から東の王道ルートで旅を計画したが、南インドはまた環境も人も全然違うという。
もう一度行きたいと感じたら、是非南、西に行ってみたいと思う。
朝7:55到着予定時刻とほぼ同じ時間に目覚め、慌てて降りる準備をした。
しかし、列車は全く停まる気配を見せなかった。
結局Kolkata駅に着いたのは10時半過ぎ。
そこから、タクシーで市街へ移動し、ホテル探し。
またもどこもシングルが空いてない…ということで、疲れていたので少々高めだったがドミトリ-でなくダブルにチェックインした。
・宿泊Hotel…『Paragon』
ダブル…350/泊
※伝説の日本人宿らしく、日本人が物凄く多くいた。全然絡まなかったけど。
昼食にマクドを食べ、エアコンの効いたCDショップに入ったりブータンでは出来ない体験をした。
夕食に中華料理を食べ、ラッシーを飲みホテルに戻った。
<3/2 Wed>
この日は、どこに行くでもなく一日中Kolkataの街中を散歩した。
街中を歩いたり、バスにひかれそうになったり、しつこい客引きにキレたり、お土産を探したり、最後にまたマックを食べたりしてダラダラと時間を過ごした。
明日にはブータンに帰国、と考えると少し寂しくも感じていたが、早く帰りたくてしょうがなかった。
<3/3 Turs>
ブータンへ飛行機で移動日。
・飛行機…8:40発 Kolkatta-Paro
朝6時にチェックアウトし、タクシーで空港に向かった。
※朝のインド人、チャイを飲む姿
タクシーでの事
今までは「インドは初めてか?」という質問に「3回目」とか適当に答えていたが、「コルカタは初めてか?」という質問に対し「コルカタは初めて」と答えてしまった。
そしたら、おじさんがいきなり「空港に行くには2つ道がある。1つは普通道で1時間半かかる。もう1つは高速道で30分で着く。でもお金が別に掛かるがどうする?」と質問してきた。
「任せる!高速がどんなか連れて行ってくれ」と答えてみた。
そして、お金を払う気配もなく高速に突入した。その時点で「コイツ、ぼろうとしてるな」と思ったので、空港に着いて最初の交渉したお金しか払わなかった。
そしたら案の定「おい、高速代は?」と聞いてきたので「さっき、高速料金払ってなかっただろ?もし必要だったらその時俺が払おうとした。でも払ってないってことは必要ないんだよ!てか、俺インド初めてじゃないし、知ってるから!」と言ってやった。
そしたら「これじゃ俺が損するよ…」と車に戻って行った。でも、本当に損するなら、もう一回言ってくるはずでしょ?
最後にインド人に勝った気になった。
旅の初日は、あんなに恐く感じたインドだったが、それは数日で慣れ、そして嫌いになり、最後は、そのインド人に余裕さえ持てるようになった。
そして、ついにインドから脱出!
KolkataからブータンのParoは、1時間程で到着してしまい、最後はこの旅が本当にあっけなく感じてしまった。
ブータン…
…
本当に静かだと感じた。
最後に…
このインド旅行、自分をかなり強くした気がする。
日本、ブータンにいたら絶対に出会わないような人に出会え、新しい友達もできた。
今回は、目的はあったものの 『インドを感じてみたい!』 という安易な理由で一人で行ったからか「インドは、一回でいいな…」と思った。
本当に今まで経験したことのないような、ドキドキも沢山経験した!
本当に疲れた…
また、ブータンというかなり平和ボケした国から行ったからなおさらそう感じたのかもしれない。
街で見る、食べ物・お菓子等もブータンにもそこら中にあるから全く新鮮に感じなかったし…。
好きになれたのはシタール・タブラー音楽くらいかな。
ただ、音楽・ヨガ等を習いたい等の目的がある人達は、インドをかなり楽しめると思った。
あと、インド人と上手くやりたいなら提示された金額を払えば気持ちよく終われるのかもしれない。
でも、それではこちらのお金が持たない。
はじめに現地の相場はどのくらいか調べておき「現地価格○○Rpでしょ?それよりは少し高く払うよ」と値段交渉を始めるのがいいのではないかと感じた。
インド人の色んな勧誘を経験し、インド人の必死さがひしひしと伝わってきた。
インド…人口も多く、成長を遂げている国だけど、カーストの下の方の人達の生活はこの先も変わらないのでは?と思った。
※インドに行けばそう感じると思う。
また、インド人がインド人を信用していない感じさせる場面を何度も見た。
これには少し悲しくも感じたが、これも自分の身を守るために必要なことなんだと思った。
※インド人が余裕なく感じたが…自分が余裕なくてそう感じたのかもしれない
ブータン…本当に静かで国民も心に余裕がある国だと感じた。
この旅でこう感じれたことは、残り1年3カ月の活動を気持ちよく行えると思う。
任国外旅行という制度…本当にどんどん活用した方がいいと思った。
人それぞれ感じるものは違うが、それでいいんだと思う。
インド…ブログではとてもじゃないが説明しきれない国…
インドへ行っていない方には、是非一人でインドへ旅に出てもらいたい。
あなたなら、『インド』をどう感じるだろうか?
簡単だが、これをインド一人旅の報告とする。
おわり!
※今回は北から東の王道ルートで旅を計画したが、南インドはまた環境も人も全然違うという。
もう一度行きたいと感じたら、是非南、西に行ってみたいと思う。
India③(Varanasi)
<2/26 San>
起きたのは10時過ぎ。
列車からインドを眺めたりしてゆっくりとした時間を過ごした。
到着予定時間は12:35だったが、実際に到着したのは16時頃。
駅を降りてすぐにオートリクシャ・ホテルへの勧誘の声が次から次へと…本当に疲れた。
そして、オートリキシャと徒歩で、バラナシの安宿街に着いた。
しかし、端からホテルが空いてないとの返答。
そしてなんとか空いている宿を見つけた。
・宿泊Hotel…『久美子ゲストハウス』
ドミトリー(朝食付)…50+40Rp/泊
ここVaranasiには、インドの母なる大河ガンジス河(ガンガー)があり、死を迎える人達が来る場所でもある。
先に泊まっていた人と、ボートで向こう岸へ渡り 『誕生日にガンガーに浸かる』 というもう一つの目的を果たした。
毎日18時位からやっているというプジャを見て、
Sooに夕食を御馳走になり、買い物をしてVaranasiでの誕生日を過ごした。
しかし、同じ部屋で他の住人がいろんなこと(臭かったり…光が何度も「シャッ」ってなったり)をしていて気持ちよく眠ることが出来なかった。
その人達はある意味、気持ちよく「キマッて」いたのかもしれないが。
まぁ…見てないから良く分からないが。
<2/27 Sun>
この日は一日中、端のAssiから端のDurga Ghatを散歩した。
※Ghat…岸辺から階段になっていて河水に没している堤のことで、沐浴場にとしても使われている。
一番面白かったのは、ジャーンキーガートでジャンキーなおじいちゃんが手を叩いて歌を歌っていたのだった。
一番うさん臭かったのは、コブラ使いのおじさんだった。
※この状態になるのに、手でコブラを刺激していたw
一番印象的だったのは、マニカルニカー・ガートの火葬場だった。
ここで、初めて死者が焼かれるのを見た。
20箇所位でそれぞれ焼かれていた。
なんだか、匂いもそんなに気にならず(香りがいいものを一緒に焼いているため)ずっと見ていた。
<火葬場の流れ>
・次から次へと家族が死者を運んでくる
・お祈りを済ませる
・何年も消えていないという神聖な火を貰ってきて点火する
・焼番の人が、竹の棒を使い全身をしっかり焼く。
※子供が亡くなった場合は、焼かずに石と一緒にガンガーへ沈めるらしい。コブラに噛まれ死亡した人も。コブラはガネーシャの首に巻かれており、神聖な生き物だかららしい。
ヒンドゥーの信仰によれば、ガンガーの聖なる水で沐浴をすれば、全ての罪は浄められ、ここで死に遺灰がガンガーに流されれば輪廻からの解脱を得るという。これはヒンドゥー教徒にとって最高の幸福といえるらしい。
ガートを歩きながら、不思議な気分で一日を過ごした。
<2/28 Mon>
コルカタへ夜行列車での移動日。
朝6時に起き、ボートで日の出のガンガーを見に行った。
朝食後、同じ宿に泊まっていた日本人が、一緒に沐浴しないかと声をかけてきた。
自分もずっと入りたかったので 『旅の思い出に具合悪くなってもいい』 と覚悟を決めガンガーへ全身浸かった。
この後に、すぐ宿でシャワーを浴びたためか、具合は悪くならなかった!
※先輩隊員の一人が、このガンジス河で個人メドレーをした後、病院に入院するほど体調を壊したらしい。といっても、インド人はみんな平気で泳いでいる。
昼過ぎまで一人で、インド音楽のシタール・タブラCD、小物・衣装等のお土産の購入、狭いバラナシ路地を散歩。
午後、宿の人達の間で噂になっていたLassi屋に行きBanana lassiを飲んだ。
今まで飲んだラッシーの中で一番うまかった!
宿から駅へ出発するまで、宿の屋上から最後のガンガーを眺めていた。
コルカタへの移動の夜行列車時刻は18:10、またまた時間通りに来た。
この列車の中には、小さいゴキブリがそこら中をウロウロしており…。
夕食付だったが食べる気にならずキャンセルした。
Kolkata編へ続く
起きたのは10時過ぎ。
列車からインドを眺めたりしてゆっくりとした時間を過ごした。
到着予定時間は12:35だったが、実際に到着したのは16時頃。
駅を降りてすぐにオートリクシャ・ホテルへの勧誘の声が次から次へと…本当に疲れた。
そして、オートリキシャと徒歩で、バラナシの安宿街に着いた。
しかし、端からホテルが空いてないとの返答。
そしてなんとか空いている宿を見つけた。
・宿泊Hotel…『久美子ゲストハウス』
ドミトリー(朝食付)…50+40Rp/泊
ここVaranasiには、インドの母なる大河ガンジス河(ガンガー)があり、死を迎える人達が来る場所でもある。
先に泊まっていた人と、ボートで向こう岸へ渡り 『誕生日にガンガーに浸かる』 というもう一つの目的を果たした。
毎日18時位からやっているというプジャを見て、
Sooに夕食を御馳走になり、買い物をしてVaranasiでの誕生日を過ごした。
しかし、同じ部屋で他の住人がいろんなこと(臭かったり…光が何度も「シャッ」ってなったり)をしていて気持ちよく眠ることが出来なかった。
その人達はある意味、気持ちよく「キマッて」いたのかもしれないが。
まぁ…見てないから良く分からないが。
<2/27 Sun>
この日は一日中、端のAssiから端のDurga Ghatを散歩した。
※Ghat…岸辺から階段になっていて河水に没している堤のことで、沐浴場にとしても使われている。
一番面白かったのは、ジャーンキーガートでジャンキーなおじいちゃんが手を叩いて歌を歌っていたのだった。
一番うさん臭かったのは、コブラ使いのおじさんだった。
※この状態になるのに、手でコブラを刺激していたw
一番印象的だったのは、マニカルニカー・ガートの火葬場だった。
ここで、初めて死者が焼かれるのを見た。
20箇所位でそれぞれ焼かれていた。
なんだか、匂いもそんなに気にならず(香りがいいものを一緒に焼いているため)ずっと見ていた。
<火葬場の流れ>
・次から次へと家族が死者を運んでくる
・お祈りを済ませる
・何年も消えていないという神聖な火を貰ってきて点火する
・焼番の人が、竹の棒を使い全身をしっかり焼く。
※子供が亡くなった場合は、焼かずに石と一緒にガンガーへ沈めるらしい。コブラに噛まれ死亡した人も。コブラはガネーシャの首に巻かれており、神聖な生き物だかららしい。
ヒンドゥーの信仰によれば、ガンガーの聖なる水で沐浴をすれば、全ての罪は浄められ、ここで死に遺灰がガンガーに流されれば輪廻からの解脱を得るという。これはヒンドゥー教徒にとって最高の幸福といえるらしい。
ガートを歩きながら、不思議な気分で一日を過ごした。
<2/28 Mon>
コルカタへ夜行列車での移動日。
朝6時に起き、ボートで日の出のガンガーを見に行った。
朝食後、同じ宿に泊まっていた日本人が、一緒に沐浴しないかと声をかけてきた。
自分もずっと入りたかったので 『旅の思い出に具合悪くなってもいい』 と覚悟を決めガンガーへ全身浸かった。
この後に、すぐ宿でシャワーを浴びたためか、具合は悪くならなかった!
※先輩隊員の一人が、このガンジス河で個人メドレーをした後、病院に入院するほど体調を壊したらしい。といっても、インド人はみんな平気で泳いでいる。
昼過ぎまで一人で、インド音楽のシタール・タブラCD、小物・衣装等のお土産の購入、狭いバラナシ路地を散歩。
午後、宿の人達の間で噂になっていたLassi屋に行きBanana lassiを飲んだ。
今まで飲んだラッシーの中で一番うまかった!
宿から駅へ出発するまで、宿の屋上から最後のガンガーを眺めていた。
コルカタへの移動の夜行列車時刻は18:10、またまた時間通りに来た。
この列車の中には、小さいゴキブリがそこら中をウロウロしており…。
夕食付だったが食べる気にならずキャンセルした。
Kolkata編へ続く
India②(Agra)
<2/23 Wed>
Agraへ列車での移動日。
予定は10:25発だったが、もちろん遅れて12時に。
具合悪すぎてホントに死にそうだった。
でも、Sooに看病されながらなんとか移動することができた。
一人だったらこの日のAgra行き、断念していたかもしれない。
誰かと一緒って本当に安心でき、いいなと思った。
※Sooは韓国の薬剤師で薬を色々もっており、症状に合わせて処方してくれた。…が、Agraのホテルで吐いてしまったw
その後、任国の健康管理委員の人に言われていた薬を飲んだら少しずつ良くなっていった。
この日は、Taj Mahalの見えるレストランで、『Payal』のオーナーに貰った梅がゆを食べた。
・宿泊Hotel…『 Shabti Lodge』
ダブル…550Rp/2泊
「本当は、400Rpの所を特別に300にしてあげる」と明らかに高めに言ってきた。しかし体調も良くなかったので値段交渉に時間はかけなかった。
駅からホテルへの移動のオートリキシャでの事…
おじさんが「今日、他に日本人を二人乗車させた」とのこと。何やらその日本人が名刺をくれたらしい。見せてくれた名刺は 『東京大学…』 。。。嘘くさっ!それに続け、日本人が書いたというドライバーへの寄せ書きノートも。そこには『○○さんは、とても信用できます。…二回目のインド旅行で前回に引き続き○○さんに出会うことが出来きたなんてホント信じられなかった。またまた、とても良くしてくれた…』等の同じような内容の事が数人から書かれていた。本当にあきれた。その後もずっと「○○ホテルは高いから、他のホテルを紹介してあげる」と他のホテルへの勧誘。
もう少しマシなウソが付けないものか…。
インド人…いちいち疲れされてくれる。
<2/24 Thurs>
体調は相変わらず最悪な状態。
でも、Agraに来たからにはタージマハルに行かなければ意味がない…次の日は金曜日で閉館日、この日に行くしかなかった。
・Taj Mahal(750Rp)
※現地人価格は20Rp。
確かにタージマハルは整備されていて綺麗だったが、敷地の周りは汚い…しっかりお金取ってんだから整備をしっかりしてほしいと思った。
この日は、昼食を取り、ポカリの不味いVerみたいな『ORS』をゲットし、すぐにホテルに戻った。
少し休んだら、具合がだいぶ良くなったので、Agra Fortに行ってきた。
閉館時間だったため、中には入れなく外から眺めただけ。
その帰りはリキシャを安く使ったので、2件の土産屋に連れて行かれた。
夜は、近くで祭りをしているということで出かけた。
この観覧車に乗ったが…TDLのジェットコースターのように感じた!
日本では、安全面の問題で許可がおりないと思うw
<2/25 Fri>
Varanasiへ夜行列車での移動日。
でも、列車時刻は23:30…。
ということで、郵便局へ行き手紙を出したり(12Rp/枚)、散歩・レストラン巡りをしたりしていた。
それでも時間が余ったので、入れてなかったAgra Fortに行くことにした。
この日から、具合は良くなった。
・Agra Fort(250Rp)
昨日使ったリキシャのおじさんに偶然会った。
ニコニコと「昨日は良くしてもらったから、今日は安くていい」と言っていたので、使ってあげた。今日はチップとして少し多めにあげようかと思っていた。しかし見物を済ませリキシャで帰ると、「今日は、昨日より疲れた。しかも、昨日は土産屋に2件連れて行ってそこでお金を少し貰ったから、90Rp稼いだ。でも昨日より疲れたからもっとくれ!」と、意味の分からないことを言ってきた。
せっかく多めに渡そうと思っていたのに…インド人と少し仲良く出来ると思ったのに…一気に冷めた…。本当に残念だった。
夜、ホテルからアーグラー駅にオートリキシャで移動し、ほぼ時間通りに来た夜行電車に乗り込んだ。
席は、3段ベッドの一番上。まあまあ快適。
そして、出発してすぐに日付が変わった。
2月26日、26歳の誕生日をバラナシ行きの夜行列車の中で迎えた。
変化のあった25歳を振り返りながら寝た。
Varanasi編へ続く
Agraへ列車での移動日。
予定は10:25発だったが、もちろん遅れて12時に。
具合悪すぎてホントに死にそうだった。
でも、Sooに看病されながらなんとか移動することができた。
一人だったらこの日のAgra行き、断念していたかもしれない。
誰かと一緒って本当に安心でき、いいなと思った。
※Sooは韓国の薬剤師で薬を色々もっており、症状に合わせて処方してくれた。…が、Agraのホテルで吐いてしまったw
その後、任国の健康管理委員の人に言われていた薬を飲んだら少しずつ良くなっていった。
この日は、Taj Mahalの見えるレストランで、『Payal』のオーナーに貰った梅がゆを食べた。
・宿泊Hotel…『 Shabti Lodge』
ダブル…550Rp/2泊
「本当は、400Rpの所を特別に300にしてあげる」と明らかに高めに言ってきた。しかし体調も良くなかったので値段交渉に時間はかけなかった。
駅からホテルへの移動のオートリキシャでの事…
おじさんが「今日、他に日本人を二人乗車させた」とのこと。何やらその日本人が名刺をくれたらしい。見せてくれた名刺は 『東京大学…』 。。。嘘くさっ!それに続け、日本人が書いたというドライバーへの寄せ書きノートも。そこには『○○さんは、とても信用できます。…二回目のインド旅行で前回に引き続き○○さんに出会うことが出来きたなんてホント信じられなかった。またまた、とても良くしてくれた…』等の同じような内容の事が数人から書かれていた。本当にあきれた。その後もずっと「○○ホテルは高いから、他のホテルを紹介してあげる」と他のホテルへの勧誘。
もう少しマシなウソが付けないものか…。
インド人…いちいち疲れされてくれる。
<2/24 Thurs>
体調は相変わらず最悪な状態。
でも、Agraに来たからにはタージマハルに行かなければ意味がない…次の日は金曜日で閉館日、この日に行くしかなかった。
・Taj Mahal(750Rp)
※現地人価格は20Rp。
確かにタージマハルは整備されていて綺麗だったが、敷地の周りは汚い…しっかりお金取ってんだから整備をしっかりしてほしいと思った。
この日は、昼食を取り、ポカリの不味いVerみたいな『ORS』をゲットし、すぐにホテルに戻った。
※ゲットして、人目も気にせずミネラルウォーターへ投入!
閉館時間だったため、中には入れなく外から眺めただけ。
その帰りはリキシャを安く使ったので、2件の土産屋に連れて行かれた。
夜は、近くで祭りをしているということで出かけた。
この観覧車に乗ったが…TDLのジェットコースターのように感じた!
日本では、安全面の問題で許可がおりないと思うw
<2/25 Fri>
Varanasiへ夜行列車での移動日。
でも、列車時刻は23:30…。
ということで、郵便局へ行き手紙を出したり(12Rp/枚)、散歩・レストラン巡りをしたりしていた。
それでも時間が余ったので、入れてなかったAgra Fortに行くことにした。
この日から、具合は良くなった。
・Agra Fort(250Rp)
昨日使ったリキシャのおじさんに偶然会った。
ニコニコと「昨日は良くしてもらったから、今日は安くていい」と言っていたので、使ってあげた。今日はチップとして少し多めにあげようかと思っていた。しかし見物を済ませリキシャで帰ると、「今日は、昨日より疲れた。しかも、昨日は土産屋に2件連れて行ってそこでお金を少し貰ったから、90Rp稼いだ。でも昨日より疲れたからもっとくれ!」と、意味の分からないことを言ってきた。
せっかく多めに渡そうと思っていたのに…インド人と少し仲良く出来ると思ったのに…一気に冷めた…。本当に残念だった。
夜、ホテルからアーグラー駅にオートリキシャで移動し、ほぼ時間通りに来た夜行電車に乗り込んだ。
席は、3段ベッドの一番上。まあまあ快適。
そして、出発してすぐに日付が変わった。
2月26日、26歳の誕生日をバラナシ行きの夜行列車の中で迎えた。
変化のあった25歳を振り返りながら寝た。
Varanasi編へ続く
India①(New Delhi)
インド12日間一人旅をしてきた!
今回の目的は 『一人で旅をし精神的に強くなる』 とした。
※隠れ目的は 『誕生日にガンジス河に浸かる』 こと。
旅行日程の詳細は、王道の
・2/20~23 New Delhi
・2/23~25 Agra
・2/26~28 Varanasi
・3/1~3/3 Kolkatta
滞在先ごとでインドでの出来事を紹介して行こう思う。
※Rp…インドルピー(ブータンのNuとほぼ同額)
※世界遺産は赤字で記載
<2/20 Sun>
Paro(ブータン)からDelhi(インド)へ飛行機で移動日。
便がネパールのカトマンドゥ経由だったため、機内からヒマラヤ山脈と世界一のエベレストを見ることが出来た。
Delhiに到着後、他のバックパッカーと一緒に市内までタクシーで移動しようと考えていたが、トイレに行っている間に他客を見失い、一人でバス移動することに。
バス係にいくらか聞いたら『25Rp』と言われたが、実際に乗ったら『75Rp』だった。
早速、始まったインド人の適当さ。
バスの運転の荒さにも若干引き、この先のインド旅が不安になる。
バスに乗っている間に、季節的に珍しい雨が降り出した。
New Delhi駅周辺で下りたが、傘がなく地図もまともに見れずに移動開始。
目的のホテルは駅周辺だったため、少し歩けば見つかると思い、ずぶ濡れになりながら歩きだしたがなかなか見つからなかった…。
駅には雨宿りするインド人で溢れていた。
駅とホテルがあるだろう所を三往復程した時点で既に一時間が経過。
持っていた『地球の歩き方』が07年のもので、町もかなり変化しており当てにならなかった。
道ですれ違うインド人に英語で話しかけても誰も聞こうとしてくれなかった。
たぶん自分達も雨からよけるのに精一杯だったのだろう。
駅の逆側に行ってみようと思い切って移動を試みた。しかし、警備員のような人に止められた。どうやら入れないみたい…。隙をみつけて歩道橋を渡り反対側へ移動成功。
そこには…想像していたNew Delhiの駅前があった。
思わず「I got it!!!!」と叫んでいた。
初めて会った英語圏の外人に道を教えてもらいなんとか目的のホテルを見けた。
運良く部屋が空いていたのでシングルにチェックイン。
・宿泊Hotel…『Payal』
シングル…350Rp/泊
ドミトリー…150Rp/泊
※オーナーは日本語堪能で、優しかった。カウンターでPCも使用可。(無料)
<2/21 Mon>
電車予約するためNew Delhi駅の外国人専用カウンターへ。
・Delhi 10:25→Agra 13:50(Sleeper:120Rp)
・Agra 23:30→Varanasi 12:35(Sleeper:272Rp)夜行列車
・Varanasi 18:10→Kolkata 7:55(3A:821Rp)夜行列車
※Sleeperと3Aの違いは、カーテン・毛布・シーツ・夕食付きか否か。
を予約。Buddha Gayaは列車がうまいこと見つからず今回は計画から外した。
ここで、韓国人のSooに声をかけられ、この先の旅を一緒にすることになった。
列車の席を確保し、観光に出かけようと外に出たところでカナダ人のBenettと出会う。
一緒に
・Humayun’s Tomb(250Rp)
・Qutb Minar(250Rp)
・Connaught Place
を見て周った。
間違えて入った高いレストランテで夕食を済ませ、地下鉄を体験しホテルに戻った。
<2/22 Tues>
朝からSooと合流し朝食を取りにNavrang 1Fの日本人レストランへ。
自分は、日本人に人気の『オクラ丼』を食べた。
※写真は、半熟だった玉子の黄身を取り除いた後。
・Jamma Masjid(入場200 +展望台100 +靴管理人??に30Rp)
・Red Fort(250Rp)
Benettと合流した。
・インド門
・国立博物館(300Rp日本語ガイド音声付)
前日の夕食が少し高かったのもあり、今日は自分の意見でMacを食べることに。
※ブータンにはマクドナルドがないため、この旅で食べるのを密かに楽しみにしていたw
ホテルに戻る途中で、お腹の調子が悪くなった。
朝食べたオクラ丼か、マックの飲み物?(コーラは水で薄めているため)
そこから、頭痛・熱・腹痛・下痢・おう吐が始まった…。
具合悪かったが、インド衣装を購入し、数日で消えるタトゥーを描いてもらった。
※この後、アルコール?で、表面の「ボコッ」としたのを取って完成
この日の夜中は、5回トイレに行った。。。
ホテルの屋上から見た、朝と夜のNew Delhi街。
Agra編へ続く
登録:
投稿 (Atom)